小さな企業のグローバル化

最先端のIT事業を
日本有数の豪雪過疎地で展開!

リュウド社長 長澤久吉

リュウド社長 長澤久吉の写真新潟県十日町市でも旧松之山町近辺は県内で1、2を争う過疎の町。冬は3、4mも積もる日本有数の豪雪地帯だ。そこに本社を置き、携帯電話関連機器・ソフトを開発・販売しているのがリュウド。IT関連機器の世界は早くからインターネットによる受発注が常態化していた。そのため、地方企業であっても都市部の企業と同様、英語力とやる気さえあれば海外展開が可能だ。あえて地方で起業した長澤久吉社長にその熱い思いを聞いた。

中国で生産、新潟で開発・検品

わが社では、携帯電話の機種変更で、新しい電話にデータを移し替えるときにショップが使うソフトをはじめ、携帯電話に特化した商品開発をやっています。

電力会社などに採用してもらった携帯電話による遠隔監視システムも、大手と比べてゼロが2つ少ない価格で使ってもらっています。

携帯端末専用の折りたたみ式キーボードも私がつくった商品です。これまでリュウドで開発した製品のほとんどは、新潟から海外に発注して生産してきました。海外の生産工場で、不具合があったときなどは、至急メールで指示しないとならないことがあります。でもノートPCを持ち歩いてない場合、携帯のいわゆる「親指打ち」メールだと細かい内容を指示する長文の指示書が難しいです。

そんな自分の必要性もあって商品化しました。自分の会社がグローバル化していく中で生まれた商品だと言えます。以前はケーブルで携帯につないでいましたが、現在は無線で携帯に接続できて、より使いやすくなっています。

生産は、ロット(生産個数)が1000以下の商品は県内の工場に発注しますが、それ以外は中国への発注になります。自社で工場を持つと初期投資負担があるし、価格競争を伴う商品は中国で製造せざるを得ないんです。ただし、開発設計、ソフトウエア部分は、県内の長岡市の開発センターでやり、そして商品の実際の動作を検査・検品するのは十日町の本社です。

商品を実際に携帯につないだときに、不具合なく動作するかチェックするのですが、本社には過去に市場に出た携帯端末の実機を約900機種以上そろえています。

実家は松之山町で温泉旅館をやっています。長岡工業専門学校を卒業後、実家を継ぐために調理師学校に行こうかと迷っていたところ父親から「10年はお前の好きにしていいから30歳までに自分の一生の仕事を決めるように」と言われ、ソニーの下請けをしていた新潟のエレクトロニクス機器製造会社に就職しました。

都市部からの「外貨」を地元・新潟に呼び込みたい

すぐに東京・大崎のソニーに長期技術研修で出向し、スリランカやインドに滞在して現地スタッフを使って白黒テレビ製造もやりました。23歳の時に、米国カリフォルニア州ロサンゼルス事務所の駐在となりました。飛行機で何時間もかかる森の中に大企業があったりして、車で2、3時間ぐらいの距離は「近い」という感覚でした。だから新潟の旧松之山町や十日町市であっても、私には「東京に近い場所」という気持ちがあります。

このままでは廃れるばかりの過疎地の地元で起業して、将来はたくさんの雇用をつくれるといい。豪雪の過疎地でつくったものを、東京や大阪などの大都市で売り、都市部からの「外貨」を地元の新潟に呼び込みたい、という気持ちで、27歳の時にロスで辞表を出し、地元・松之山町で起業したんです。

本社社屋の賃料はタダ、1万円、3万円と…

スタート当初は、町長に掛け合い、以前、電話局が使っていた建物をタダで借りました。2、3年は一人でいろんな商品を考えていました。20件ほど自分のアイデアを商品にしようとしましたが、いずれも既に競合相手がいたりして商品化には至りませんでした。

会社員時代の蓄えは減るばかり。妻が私の実家の旅館で働き、私も夕方などの忙しい時間は実家に手伝いに出て食べていましたが、そんな様子を見ていれば父親も「うまくいっていないな」とすぐに分かります。

子供が生まれ妻が働けなくなり、切羽詰まりました。「10年好きにやってみろ」の期限が近づき、父親も「どうするつもりか」という雰囲気。尻に火がついた感じでした。

そんな創業4年目にマッキントッシュPCの周辺関連機器を開発しました。東京・秋葉原の有名店に置いてもらったところ、純正品の半値ぐらいの価格で納期が早いところが評価され、前年は78万円だった売り上げが、この4年目には5000万円近くになりました。翌年は1億数千万、さらにその翌年は3億数千万、次の年は5億数千万…。全国展開に成功すると、こうも違うものかとつくづく思いましたが、創業期のピンチは脱しました。

5年目には、月1万円の家賃で廃校になった地元の中学校校舎の2階全6教室を借りました。その廃校の1階は建設会社が借りていました。やがてそこに温泉付き老人保養施設をつくることが決まり、移った先がやはり廃校になった幼稚園で、建物と土地157坪を月3万円で借りました。

過疎地のメリットを生かす

過疎地のメリットを生かし東京や大阪の中小企業と戦う

この時期にはマック周辺機器をつくるIT系中小企業はかなりありましたが、ほとんどが東京の狭いスペースで倉庫スペースも含めると家賃約100万円の固定費がかかっていました。仮に月100万円のコスト差だとすると10年で1億2000万円の差が出ます。

当時、競合していた東京の会社の多くは固定費で資本金を食いつぶし、廃業しました。私の場合、固定費負担がほとんどなかったので、その分、開発費用や価格に振り向けることができました。価格競争にさらされる商品であれば、東京や大阪の会社に比べると商品によっては3割ぐらいは安くすることも可能です。

現在の本社ビルはもともとは国内大手男性かつらメーカーの工場だったところで、その会社の創業者が亡くなり、国内生産撤退で閉鎖されて売りに出ていました。

そこに移らないか、という誘いがあったころ、平成13年のゴールデンウイークの早朝に起きた土砂災害で、本社である松之山の廃校幼稚園建物が埋まってしまい、「必ず契約するから」と、取り急ぎ設備・商品を移動し、後で正式に契約しました。広いので検査・検品のみならず梱包の作業場、倉庫としても十分です。

商品の発送には宅配便を利用します。ある程度のまとまった量が定期的に出るとなると、宅配便会社同士が競合しますから、都心部や東京郊外に工場を持った場合と配送コストは変わりませんし、翌日配達という条件も同じです。

現在の本社ビルがある場所は、以前にあった幼稚園本社と違い、携帯の電波がよく入ります。インターネットやパソコンは米国が先端を行き、日本が追いかけましたが、携帯は日本が世界をリードしている分野です。だから携帯関連に特化して開発に当たっています。

今後も固定費の安さという、新潟有数の豪雪過疎地のメリットを生かし、東京や大阪など大都市のIT機器関連の中小企業と戦っていくつもりです。

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